語れる人がいなくなった、その後も {東京都 関東大震災}

東京・墨田区の荒川に、かつて「四ツ木橋」という木造の橋があった。現在、そのあたりの地形を知りたいと思ったら、京成押上線に乗るといいかもしれない。八広(やひろ)駅から四ツ木駅にさしかかる間で、荒川を渡る。進行方向の右手に、以前はその橋があった。
 
1923年9月1日の正午前。マグニチュード7.9の激しい揺れが起こり、その後あちこちで火災も発生して、関東全域で10万余人の死者、行方不明者を出す大惨事に見舞われた。
 
四ツ木橋にも、渡って向こう岸に逃げようとする避難民が殺到し、そのことが信じがたい悲劇を生むもとになった。混乱の中で、軍や自警団などが起こした朝鮮人の虐殺事件である。

「最初は、津波が来るというデマ。そのあと、今度は『朝鮮人が攻めてくる』『放火した』と流言飛語が起こったのです」

・・・・・・(つづく)


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